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広島家庭裁判所福山支部 昭和34年(家イ)90号 審判 1960年3月25日

申立人 塚田伸(仮名)

相手方 宮井粂一(仮名) 外一名

申立人塚田伸は相手方宮井粂一と相手方塚田ユキエとの間の嫡出子であることを確認する。

理由

本件申立の要旨は、申立人は戸籍上相手方宮井粂一(旧姓は白木)と相手方塚田ユキエとの間の非嫡出子(旧法による庶子)男として登載されているが、これは申立人が父母の婚姻後二〇〇日以内に出生しているためかかる記載がなされたものと思われる。しかしながら父母の婚姻届出は、事実上の婚姻後数ヵ月を経過してなされて居り、従つて申立人は相手方宮井粂一と相手方塚田ユキエとの間の事実上の夫婦間の子として出生したものであるから嫡出子であることの確認を求めるというにある。

よつて広島家庭裁判所杉山支部調停委員会は、昭和三五年二月八日午前一〇時第一回調停期日を開き調停したところ、当事者間において主文同旨の合意が成立しその旨の審判を求める調停が成立した。そこで当裁判所は必要なる事実調査を遂げ判断するに、本件記録に添付せる筆頭者亡塚田泰郎戸籍、筆頭者宮井粂一戸籍の各謄本に、各当事者の審問の結果及び証人福山実、同塚田タミコ、同福山ヒサの各証言を綜合すれば、相手方塚田ユキエは、所謂家付の長女であつたため、その隣家の福山金作、同人妻ヒサ夫婦の媒酌により昭和七年四月二四日頃相手方宮井粂一を婿として迎えて結婚式を挙げ爾来同棲し事実上の婚姻をして、相手方塚田ユキエの父母等と共に生活を営み同年一〇月八日・に至り右粂一との婿養子縁組婚姻届出をなしたものであること。婿である相手方粂一は辛抱できず、同年一一月頃相手方塚田ユキエ並びにその父母等と事実上の離婚離縁をして実家に帰えり、その後約四ヵ月を経過した昭和八年三月一〇日に協議上の離婚離縁の届出をしたものであること、相手方塚田ユキエは相手方粂一と事実上の婚姻をして夫婦となつて間もなく粂一の子を懐胎し、昭和八年三月一日出産し、これが本件の申立人塚田伸であること、右申立人塚田伸は相手方粂一と相手方塚田ユキエとの婚姻成立後一四五日目に出生したものであり、その出生届出は相手方粂一と相手方塚田ユキエとの離婚届出の翌日即ち昭和八年三月一一日母である相手方塚田ユキエによつて届出られたため、嫡出子としての届出がなされなかつたものであることが認定できる。

よつて案ずるに、申立人出生当時の戸籍手続の取扱いによれば、申立人の出生届出については、父母より嫡出子としての届出がない限り母のみによつて届出をする場合は私生子として届出を為すの外なく、従つて本件の如く戸籍上申立人が、縦令母より庶子として届出られその旨戸籍に記載があつたとしても、相手方粂一の申立人に対する実体的認知の効力はなく、従つて相手方粂一と申立人との間において法律上の父子関係は存在しない。しかして、婚姻成立後二〇〇日以内の非嫡出子を嫡出子として訂正し得る場合の取扱いとしては、昭和一五年一二月五日付民事局長回答、民甲第一四九七号によれば、戸籍法第一一三粂によつて訂正することができ得るとされているが、本件のように申立人の出生届をなすに先だち父が離婚して実家に復籍している場合には適しないし、又昭和三四年八月二八日付法務省民事甲第一八二七号通達によつて相手方粂一の任意認知によつて申立人を嫡出子と訂正するとすれば、先づ申立人が戸籍上相手方白木粂一の非嫡出子として記載されている庶子の記載並びに父の氏名を消除しなければ、表面上の認知の効力が重複することとなり、実質的審査権を有しない戸籍吏においては右認知届出に基く処理をたやすくなすことが出来ない結果となる。さればこれを行政的処理によつて戸籍を訂正するには、戸籍法第二四粂第二項によつて右庶子並びに父の氏名を一旦消除した上、相手方粂一による認知届出により改めて父の氏名を記載することとなりまことに迂遠の手続を要するものと謂わねばならない。当裁判所は前記認定のように相手方塚田ユキエと相手方粂一とは婚姻成立前相当期間内縁関係が存続しその間に申立人を懐胎し、その後に至り相手方双方間に婚姻の届出がなされたもので申立人は相手方の間に出生した生れながらの嫡出子であるからむしろ本審判により直載的な手続によつて申立人の戸籍を訂正するにしかずと思料する。

仍つて本件は合意に相当する審判をなすべきものであると認め家事審判法第二三条に則り主文のとおり審判する。

(家事審判官 伊達俊一)

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